フィラデルフィア長老会 福音の変革への希望を思い起こします。
親愛なる日本人キリスト教会の兄弟姉妹の皆様、
主イエス・キリストの名において恵みと平和をお祈りいたします。大フィラデルフィア大都市圏の4つの行政地区において礼拝と宣教を行っているフィラデルフィア日本人教会の兄弟姉妹皆様方へ、祝福をお祈りいたします。私はこの場にいませんが、1944年以来、何十年にもわたって形成され、改革されてきた信仰の家族である皆さんとの教会生活の中で、80年を共にお祝いできることを感謝します。皆さんの証が、より大きなコミュニティ、特にこの国で生活する日本出身者のために、キリストの愛を提供し、奉仕してきたことをお祝いいたしましょう。皆さんの物語は明らかに、偉大な忠実と復活の希望の物語です。あなた方の最初の精神は第二次世界大戦後半に、強制収容所から出てきた第一世代の日本人に奉仕し、励ますことで形作られてきました。80年経った今も、あなた方は迫害されたり、他者から疎外されたりしているすべての人々のために神の正義を追求する方法を模索し続けています。特に貧困と欠乏、否定、絶望の声によって生きる希望が脅かされている時代に、あなた方が内外の日本人コミュニティにとって希望の光であり続けることを願います。目の前の厳しい現実問題に取り組まなければならないことは疑いの余地がありません。そして祈りによる決断が必要になります。これは復活されたイエス・キリストの子供であると主張する私たち全員に当てはまります。しかし、お祝いの日である今日、神の子供たちがファラオの束縛と抑圧から解放された後にミリアムがしたように、私はあなた方に歌い、踊るよう勧めます。主があなた方のために、そしてあなた方と共にしてくださったことのために歌い、踊りましょう。希望をもってお祝いを形作りながら、歌い、踊りましょう。そして、次世代のために神聖な物語の次の章を書き記すとき、私たち一人一人に命を吹き込む天国の息吹によって、あなたの証言が力づけられますように。イエスが、この世で共に歩んだ人々から天国へと昇っていった時に約束した「私はこの世の最後まで永遠にあなたがたと共にいる。」という言葉を思い出してください。神のご加護がありますように。
A: 80周年先人の振り返り
フィラデルフィア日本人キリスト教会80周年おめでとうございます。当教会は1944年11月19日にブラウンストリートにおけるフェローシップハウスにて集まりを持たれた時を起源としています。1944年という時代背景を考えてみますと、1941年12月8日に始まる真珠湾攻撃により第二次世界大戦の真っただ中でありました。1944年7月にはサイパン島が陥落し、そこから原爆を載せた飛行機が飛び立ったのが翌年でした。「敵国の人間が一つの場所に集まるとはけしからん。何か悪いことを企ているのではないか。」と思うのが人心です。しかし、戦争状態という暗闇の中にあっても、神様のご計画は着々と進んでいたのです。JCCP創立者の土山牧恙(つちやまぼっこう)先生は、プリンストン神学大学を卒業し、さらに上の課程に進学される際に、JCCPの土台を作りました。プリンストンからフィラデルフィアに行き、転住されている日本人の住所を尋ね、住所リストを作成し、戸別訪問を始めました。キリスト教信者の方には他の知り合いを紹介していただいて、一人ひとりを訪問したのです。フィラデルフィア地区の住居者は転々としていて、留守も多く、自動車もなく、バスに乗って全部を訪問することはとても大変でした。教会連盟の経済的援助がなく、伝道のための交通費、通信費、宿泊費、食事は全部自腹でした。しかし、戦時下にあって心細い日本人を訪問によって激励することは何と必要なケアでしょうか。いつ差別にあい、捕らえられて殺されてしまうかもしれない。そのような危機的状況をイエス様と共に乗り越えてきたのです。当時と今では移動手段やコミュニケーション手段がまったく違います。しかし、不便な中にあって人と神様をつなぐ伝道は喜びと感謝に満ちていたのではないかと想像します。戦争中に、同じ日本語を話す一世の方々に、イエス・キリストの福音と信仰を伝えたい。その一途な気持ちに教師も信徒も反応し、共に主を愛するキリスト者として成長させていただいたと想像できるのです。「キリスト者はこの地上においては寄留者である。」と聖書は言っております。そして、寄留者は一時の間、地上で生きる存在です。その苦労は一時の事です。永遠の魂の故郷である天国への希望で一時の艱難を乗り越え、この世でも与えられたもので満ちたりるのです。さて、戦争が終結し、時代は戦後復興へと進みました。フィラデルフィア日本人教会で奉仕される牧師は別の伝道場所へと移動されていきますが、神様はタイミングよく別の奉仕者を用意されておりました。坂口竜雄(たつお)先生は17年間牧会され、1969年からは島田嘉隆(よしたか)先生が20年間牧会されることとなりました。高度経済成長期に入り、留学生・駐在員が与えられる時代となりました。1984年9月に現在の教会堂を購入し・移転することができました。1980年代は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉に代表される通り、日本経済の絶頂期として、1991年3月のバブル崩壊まで語り継がれるようになりました。JCCPもその後は、藤田正武(まさたけ)先生・村田豊恒(とよつね)先生・柴川秀夫先生と続き、国際結婚される日本人女性の活躍の時代が続きました。2010年からは無牧の期間を乗り越え、田村寿宏(としひろ)先生、メアリー・クルス・ザンブラナ先生、そしてまた無牧の期間を乗り越え、2024年8月からは私、松野真理が牧師として担当することとなりました。私はペンシルベニア大学に留学して、この教会でお世話になり、約20年後に奉仕するように長い時間をかけて、挫折を味わいながらも成長してきました。「何事にも時があり天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」コヘレトの言葉3:1に書かれています。また、箴言16:9には「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。」とあります。この2つの聖書箇所はこれまでにも多く耳にしてきたはずです。今日、この場に集っている皆様方は、生きる証人として神様の奇跡を経験してこられたはずです。それは人間の欲望や願望での努力で歴史が動くのではなく、神様は最善の予定をあらかじめ立てておられるということです。History is his story. 「歴史とは彼の物語である。」と聞いたことがあると思います。私たちは自分の思いが実現されなければ、不安になり、焦り、物事を強引にお金や権力で進めようとします。しかし、神様はそうされません。神様は自分を偽る事ができません。神様のご計画と予定時間配分は私たちの予定を超えて完全であります。私たちはその信仰に従って神様の御心を祈り求めていきましょう。
B:日本国の現状と未来の課題
さて、過去を振り返ることは我々が年齢を重ねた結果であります。そして、輝かしい過去の栄光に浸ることは、時々は素晴らしいことですが、「過去を懐かしく思い出すだけで、前を向いて努力できない老人になってしまうな。」と徳川家康は言っております。彼は年齢を重ねるほど成長し続けた日本史の偉人です。私たち人間の身体的成長は二十歳から衰え始めますが、精神の成長は最後まで続けることができます。特にキリストにおける霊的な成長は、日々新たにされ、人生の後半こそ充実してくるのです。また、人間が未来を見通す予知能力を持っていないのは、未来が見えてしまうと努力できない人間になってしまうからであると言われています。神様の素晴らしい予定があるといえ、クリスチャンとしての霊的な成長が求められています。「80周年続いた教会を持続的に経営するには、新たな世代の信徒の獲得が必要です。」この信仰の継承というテーマは現代日本における大きなテーマだけでなく、世界的に同時に進んでいる大きなテーマなのです。それはキリスト教を信仰する若者が減っているという事実と先進国では人口そのものが減少している超・少子高齢社会を迎えています。今日はお祝いの場ですが、社会学から予想される日本の未来を提示します。今日私たちの生きる社会は物質的に繁栄していますが、非常に厳しい現実と未来が待ち構えています。最近のキーワードは「日本人はこのまま絶滅するかもしれない。」という言葉をよく耳にします。2024年の出生数は70万人を割ると言われています。1974年は230万人もいたのです。人口減少の主な原因は超・就職氷河期世代と言われる40代から50代の多くの男性が非正規雇用になり、経済力がない男性は女性から結婚対象として扱われなかったという事実と、時を同じくして男女共同賛画社会基本法が平成11年に施行され、女性の社会進出を政府が応援するという社会になりました。男女の雇用における差別解消ということで、聞こえはよいのですが、実際は男性一人の稼ぎでは一家を養うだけの給与を得られず、また社会全体の働き手が足らず、女性もフルタイムで働いてもらいたいというのが本音であります。女性がフルタイムで働くようになると子供を産んで育てるのがまるで罰ゲームのようになりました。2016年に、「保育園落ちた日本死ね」という言葉がSNSで有名になり、待機児童の問題が注目されましたが、現状はより悪化し、子供を産めない社会となりました。そして、もう子を産む年齢の女性がいないのです。一方の男性は、ますます長時間労働を強いられています。つまり、能力があり、長時間労働に耐え、経済的に豊かな男性は、必死に仕事をして子供を産み育てる特権を与えられるが、そうでない経済的弱者は結婚できず、家族を維持できない格差社会が拡大しています。そうして、東・南海トラフ地震が2030年から2040年の間頃に日本列島を襲い、日本は経済損失が220兆円を超えると試算されており、これまでに経験したことのない国難を経験すると言われています。グローバル資本主義世界の世紀末を迎えています。お先真っ暗な日本の未来に私たちはどう生きていけばよいのでしょうか。イエス様は言われました。「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」しかし、ピンチはチャンスでもあります。
1:原因を突き止めれば、正しい対処方法がとれる
ピンチをチャンスに変えるために、まず必要なことはなんでしょうか。ピンチを解決することです。ピンチの原因となった問題を解決するためには、問題の所在、原因を明らかにする必要があります。今置かれている「ピンチ」のそもそもの原因は、何でしょうか。ピンチに対処する上で、大切なことは原因から目を背けないことです。「あるべき姿」と比較して問題の大きさを明確化しましょう。もしかしたら、その問題は日頃からあなたも問題点だと感じていたけれど、見ないフリをして蓋をしていたことかもしれません。逆境にいる時こそ、正視しましょう。ピンチを乗り越える方法や手立てを考え、実行するのはその後です。
資本主義社会は人間の罪を利用した仕組みでなりたっています。そして、便利・快適・欲望の追求を求めてきましたが、もう末期状態となりました。家族を形成するのが困難な社会となったからです。確かに古代から富を持つ者とも持たない者の差がありましたが、現在は格差が広がり、経済発展による人口爆発が起こった後の社会を我々は生きているからです。根本的な原因は、神様から離れてしまった人間が神様への信仰よりも金銭を愛する生き方となってしまったからなのです。お金がなくても幸せに家族を形成し、苦労しながらも生活することができました。しかし、今は結婚して家庭を作ることを躊躇する時代となってしまいました。経済的な問題、そして、夫婦や家族の愛が冷めています。仕事に追われ、疲れ果てています。聖書によると私たちの罪あるこの世の中は持続可能な社会ではなく、すべてが過ぎ去ります。そして、神様の統治される神の国こそが永遠の国なのです。この神の国を求める祈りがクリスチャンの生きる力の原動力となるのです。
2:周囲の助けをかりる
ピンチは、ひとりで乗り越えられないケースも多いです。ピンチの時こそ、あなたのことを本当に応援してくれる人が見えてくるものです。そうした人たちに、助けや知恵を求めることは恥ずかしいことではありません。プライドは捨てて、助けをかりましょう。ピンチを脱出した暁には、助けてくれた人たちへの感謝やお礼を忘れてはなりません。
現代社会はインターネットなどによるコミュニケーション手段が発達し、画面をタッチすることで必要な商品を購入できる便利な時代になりました。パンデミックの時代も重なり、人々は自分の世界に閉じこもり始めました。義務教育にある子供の不登校は約46万人にもなっています。根本的な問題は、愛を感じられないで成長した人間の姿かもしれません。人間は物質的に豊かになればなるほど、心の豊かさを失います。子孫繁栄、家族と共に子供の成長を喜ぶ幸せよりも、一人で部屋に閉じこもり、ビデオやゲームを楽しむ世代がまさに現代の50代から下の世代です。子供は金食い虫、時間の浪費で困っているので子育てを放棄したいという家族。気持ちは分かりますが、私たちは本当にわがままになってしまいました。個人の自由と選択ということで、時代は流れています。しかし、聖書は「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」と男と女を創造し、「産めよ、増えよ、地に増えよ」と祝福されました。まさしく教会は一人で生きるのではなく、人間が愛し合い、助け合う場所です。その豊かな愛の経験を次世代へと受け継ぐ唯一の存在なのです。エクレシアというギリシャ語は、建物が教会ではなく、お互いが神様を第一に愛し、互いに助け合いをする場所が教会であります。まさに、私たちの家庭は教会であり、キリスト者が集まる場所が本来の教会なのです。思い出しましょう。教会の頭はイエス様です。イエス様の愛と私たちは誰も切り離すことができません。イエス様は教会を愛されます。私たちは教会を愛します。教会の目的は、和解と癒しと成長を促す場所であります。和解とは仲直りをすることです。まず、私と神様の関係において仲直りを提供する場所です。神様との約束を犯してしまったアダムとエバの子孫である私たちは、生まれながらに罪の奴隷にある呪われた者でした。しかし、愛の方である神はその独り子であるイエス・キリストを地上に送り、十字架に架けることによって、神様と私たちが和解しました。イエス様は和解の使者であります。そして、キリスト者はこの世の断絶がもたらす隣人との不仲との和解者となるのです。第二に教会は癒しを受ける場所です。私たちの的外れな生き方によって、私たちの魂は多かれ少なかれ傷ついています。イエス様の罪の赦しはその私たちの傷ついた自己を本来あるべき姿に戻す癒しのプロセスであります。私たちは自分と他人を比べることで優越感や劣等感を感じてきました。その痛みこそが拝金主義や権力闘争へと駆り立てられるのです。そして、それらの欲望には限度がありません。人間の欲望が果てしない経済活動を行い、炭酸ガスの排出量が増え、温暖化による気候変動がこの10年で現実のものとなり、超大型台風の襲来や洪水などの自然災害が次々と引き起こされています。もうこの流れは止めることができません。人類全体の魂が癒される必要があるのです。そして、一人の個人がイエス様によって和解と癒しを経験すると、次は成長が引き起こされます。そして、生活のすべてが神様を礼拝する行為となります。主にあって本来の私を取り戻した私はこの喜びを隣人に伝えたくておられません。主の腕となる働き人へと成長させていただけるのです。そして、隣人に福音を伝える者となり、教会は成長を続けていくのです。
現代はオンライン・マーケティングの時代です。しかし、教会信徒になるというのは商品をオンライン購入するのと訳が違います。それは神様を愛し、隣人を愛し、教会に仕えるというコミットメントが求められます。神様は一瞬で人間を成長させる力をお持ちですが、一人の人間が和解と癒しを体験し、成長するには長い時間がかかります。そして、一人で成長するのではありません。共同体である教会全体が共に成長させられるのです。神様は心を尽くして神様を礼拝する者を求めておられます。そして、礼拝する者をおこさせてくださるのです。教会員が愛し合う姿を見て、世の人々はその姿からイエス様を見るのです。
D:この80年の主の良くしてくださったことを振り返り、感謝しましょう。そして、目の前の現実はいつの時代も困難です。戦争と飢餓の時代の危機的時代から、神を失い、自己中心と孤立する危機的時代となりました。しかし、聖書は言っています。「これらのことを話したのは、あなたがたが私によって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている。」ヨハネ16:33です。イエス様なしでは生きていくことができません。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』 とこの世で生きて、教会のために奉仕した私たち一人を天国で労をねぎらってくださいます。次の10年も神様を愛し、隣人を愛し、この地上にあって成長しつづける教会でありますように。無いものを嘆くのではなく、与えられている恵みを感謝できますように。経済的な祝福を与え、夫婦が愛しあい、子供を育て、温かな家庭を形成することができますように。また、イエス様が愛された教会に愛と喜びを持って仕える者がさらに新しく加えられるように、祈りましょう。
2024年11月10日「本当の動機が問われています」の要約
私達の生まれながらの性質は、自分を大切な存在として思われたいのです。
それはとても健全な思いだといえるでしょう。しかし、律法学者はいつの間にか
「神様を賛美するよりも、自分を賛美してもらいたい。」という願望に変わっていました。
神に仕える者であるからこそ、神様はより高い次元で神に仕えるように戒めました。
それが、「本当の動機が問われています。」ということです。
わざと特別な服を着る。わざと長くお祈りをして人間に聞かせる。高額の請求をする。などは一見すると
この世の価値観では当然のように思われます。しかし、神様は私たちの真の動機を見抜かれます。
貧しいやもめは彼女の人生を自己犠牲の愛で捧げました。その愛を高く評価してくださる神様を知り、
私達は神様を礼拝し、献身し、献金を通してこの地上での神の国を希求していくのです。
聖フランチェスコのように、裸でキリストに仕えるという志を持った者がいつの時代にもいます。
そして、実際に持たざる者にも神様は祝福を与え、生かしていただいているのです。
私達の願望は否定されるものではなく、神によって清められ、正しい方向へ導いていただきましょう。
A:夫婦の会話で”I love you.”を。
B:マルコによる福音書12:38-44
C:アッシジの聖フランチェスコ
D:願望を清めて高める
2024年11月3日「人生の目的」の要約
人間はこの世で幸せに生きることができません。それは私たちを創造した神様との断絶が起こっているからです。ですから、人間は魂の中に空虚さを感じ、
人生の目的とは何かを考えて生きています。いいえ、多くの人たちは日々の忙しさの中に自分を追い込み、空虚な思いを感じないようにしているのです。
人生の目的とは神様を心から大切な存在であると愛し、愛されることで神様と自分との関係を取り戻すことであります。自分自身を「神様が本来私を創造した目的に作り変えられること」を経験します。これが救いです。救いを得た人間は、神様が愛される隣人を自分のように愛することができます。神様は人間を愛しておられるので、その子であるイエス・キリストを地上に送り、十字架につけることで私たちの的外れな生き方を赦し、神様の子供とされる特権をあたえてくださったのです。イエス・キリストを私の救い主だと受けいれることで初めて人生の目的が得られるのです。
聖書は根本的な人生の目的を私たちに教えています。しかし、個別対応は「神様とあなたの関係」で神様から個人レッスンを受ける必要があります。
A:幸せな主婦の悩み
B:マルコによる福音書12:28-34。最も重要な掟
C:アウグスティヌス「すべての人には神のかたちをした空洞がある」
D:悩みや困難は神様を発見するためのラブコール